割り箸を煮込んだ美味しいやつ。

割り箸を煮込んでもメンマはできません。

日清の『カレーメシ』における規範意識への裏切り、及びお料理ベタを生み出しインスタント食品の普及促進を推進する行為を許すな。

お久しぶりでもないです、menmanistです。

さて本日は、あの大企業『日清』の壮大な日本の食卓を支配するための計画に気づいてしまったため、本記事によってそれを告発しようと思います。もし本記事が後日削除されることがありましたら、そういうことだと思ってください。

 

● さっさと話せ

 さて、皆さんはカレーメシ、という商品をご存知でしょうか。というか食べたことがあるでしょうか。

あの株式会社セガ・インタラクティブ国民的大人気アーケードゲーム三国志大戦」とコラボしたこともある商品なので日本国民の8割くらいは認知している商品だと思いますが、念の為説明すると簡単にいえばお湯を注いで作るカレーライスのことです。

ちなみに正確にはカレーライスではなくて…2013年に1度「カップカレーライス」という名称で発売したものの、完成するモノが米とカレールーが混ぜ合わされたものなのでコレはカレーライスではない、ということでカレーメシとなった経緯があります。あと最初は水いれてレンジでチンする商品でした。そんなどうでもいいオタク向けカレーメシ知識は置いといて。

 

 

● いい加減本題に入れ

 はい、というわけで本題なのですが、カレーメシ皆さんは食べたことあるでしょうか?

確かに美味しい、美味しいのは悔しいが認めなければならない。しかし・・・1点気づいた事があったのではないでしょうか。そう・・・

 

カップ内の線に従ってお湯を注ぐとシャバシャバに出来上がる

 

ということに…

 

しかしここは大企業日清食品、姑息にも表向きの方便・言い訳を用意しており、周到に用意された以下の「カレーメシ」ページにて、お湯を注いで5分後蓋を空けた時点ではシャバシャバだが、混ぜる事によってドロドロのちゃんとした本格カレーになる旨の主張がなされています。

www.currymeshi.com※2019/11/07 04:20閲覧

 

しかしだ。

 

俺が言いたいのは。

 

かき混ぜたあとも。

 

シャバシャバだと言うことだ。

 

こ れ は カ レ ー お じ や だ 。

 

 

我々が望むのはカレーメシ、カレーライスとは似て非なるものではあってもカレーが食べたいのである。そこに求むるはスープカレーではないのだ。カップヌードル飯の方はまだわかる、アレはカップヌードルを食べた後の汁にライスを突っ込んだおじや的サムシングを最初からメインで食べられるようにしましたよというコンセプトと考えればむしろそれが普通であるとも言えるのであるがしかしカレーメシについてはカレーライスを目指した経緯すらあることからも明らかに目指しているのはカップヌードルカレーの汁にごはんを投入したものではなくカレーライス的なモノを目指しているはずなのだ。(早口)

 

つまり、カレーメシの規定の線は完全に間違っており、設計ミスをひた隠しにするどころかコレが仕様なんですよと喧伝する日清食品は早々に自らの誤ちを認め、商品を改善するべきなのである。

 

 

● なんでそんなに怒ってるんだ

 少しお湯を少なめにすれば美味しいカレーメシが出来る、勝手に調整すればいいだろう。これまでの訴えを読んだ方々はそう思ったかもしれない。しかしだ。

我々日本人は常にルールを守るよう教育をされてきた。小学生時代、廊下を走っては怒られ、順番を守って並ぶことの重要さを徹底して刷り込まれ、時には教室の前後にあるドアのどちらが入り口でどちらが出口まで強いる教師もいた(理由の説明もないので納得いかなかったしほぼ意味をなさなかったが)。

そう、そして俺はド深夜に車どころか自分以外だれも歩行者がいないときですらきちんと信号を守るような男に育ったのだ。偉いでしょほめて。

 

こうした日本の教育を受けた我々に対し、そうそう気軽に『規定で定められた線』を破れというのは簡単なことではない。しかもこと料理においてはレシピ本にある分量や時間を守る事が重要なのである。

製菓などの経験がある人はこうした分量について正確に守る重要性が分かることだろう。ちなみに俺は無い。

 

料理のアレンジというのは基礎が出来て初めて可能なことなのである。素人が基礎を固めず突然アレンジをすること、それはつまり料理という行為を錬金術へと変化させるチャレンジなのである。お手本や教本を素直に記載通りに従って成功したらアレンジをするべきなのである。基礎がわからないのにアレンジするからマリオストーリースペシャルイチゴケーキを食べたヘイホーが嘔吐することになるのだ。

 

 

つまり、日清食品はカレーメシの規定のラインをあえて多めのラインとすることで日本国民の規範意識を緩ませ、アレンジすることは当然であるという刷り込みを通して日本国民の料理スキルを壊滅させる目論見があることは明白なのである。

料理スキルが壊滅することによって得をするのはインスタント食品業界であることは言うに及ばないだろう。

 

 

そう、日清食品はカレーメシによって日本の食卓を支配しようとしているのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、毎回気をつけようと思っているのにきっちり線までお湯をいれてしまい、後悔しながら思うのであった。

日清さんちょっとだけ線の位置を下げてくれないかなぁ

空の青さを知る人よ を観てきました

空の青、青い春、ブルーな気持ち…

不安定な時期の少年/少女(今回は少女がメインでグループじゃなくてソロだったけど)と、またも過去の人物が現在に現れて…というほんとそういう設定好きすぎだなぁオイ~って感じではあったものの、素直に見ればまぁ良かったじゃないかなと思います。普通に良かったという感じ。

 

引っかかる所はあっても、そんなもんイチイチ気にして評論家様やる人向けに多分つくってないだろうと思うし…。描きたい所というか伝えたいんだろうなという大筋を素直に受け止めて心を動かせばいいんですよ、そういう風に楽しむべき作品じゃないかと思います。俺は素直で純粋な人間なのでまっすぐに楽しめます、おたくではないので。

・・・もちろんそういうのも楽しみ方の一つなので否定はしないし、作品によっては俺もそうなってしまうこともあるのでそもそも否定すること自体出来ないんですけども。

 

でも多分あの花とかの流れで普段アニメそんなに観ないけど口コミで興味持って観てみたらアレは感動した~!みたいな層を引っ張ってくるにはちょっと宣伝足りないような気がするのと、新海誠監督の某作品がまだ普通に上映続いているので、アニメ映画って興味ある人以外はそんなに短いスパンで本数たくさん観ないだろうし大丈夫かな?とは思いますね。まぁそもそもあの花とは違うので同じ層を主軸にというわけではもちろん無いような気はするんですけども、ひねくれた評論家おたく様たちは素直な心でこれを観に行ってくれるのかどうか…というのを考えるとちゃんとヒットするかな、大丈夫かな…と勝手に心配してます。なんだかんだ次回作とかも制作してほしいし期待しているのである程度ヒットしてほしいですね。

お前にそんな心配されたくはないだろうと言われたらその通りです、プロの宣伝担当が戦略練ってやってるだろうしそんなこと言われたくはないだろうな…ごめんなさい

 

とまぁその程度で、内容については公開されてそんな経ってないので触れないでおきます。

あっそうだ、太眉がついにメインに据えられたか!という意味での個人的な好みも含めた良かった、です。この監督でこのキャラデザ、もし脚本が黒田さんだったらもしかしたら髪のほうが青くなって…辛いポジションにされてたんじゃないかな…って勝手に思いながらメインでよかったなぁ安心しました。そんな穿った見方をするな。

 

 

まぁそんなこんなで特に深くは触れないでおくんですけども、結局今一番言いたいことはですね

まだ公開しているうちに急いで『HELLO WORLD』を観に行ってください、ということです。よろしくお願いします。

俺は公開されて早めに観に行って、物販コーナーで万札飛ばしました。ぜひ観に行ってください。

 

 

それではまた。色々書きたいなと思ってはめんどくさいとか書きたかったこと忘れてブログ更新しないのを繰り返してずーーっと更新してなかったので、これからはたまに更新するようにします。

 

 

※姉妹の名前があかねとあおいだから俺がビビッドレッド・オペレーションの話をすると思っただろ、流石になんでもかんでもビビッドの話をするわけじゃないぞ

『シンフォギア』と出会った。

久しぶりの更新となりました、menmanistです。

 

 最近は忙しさにかまけて日々をなぁなぁに過ごしているような気がして…かといって本当に忙しいのか?俺は本当は何かをする時間があるんじゃないか?なんて、自分を責めたり。どこか苦しくて…なにかやり残したことがあるんじゃないか、何かもったいない見逃し、やり逃しがあるんじゃないかと思う日々を過ごしていました。

そんな日々の中で、ふと『シンフォギア』という作品を録画したまま放置していた事を思い出したわけです。

ちょっとツイートしただけでTLのシンフォギアおじさん(めんどくさい人たちです(でもみんな好きだよ))たちからギロッという目を向けられ”””圧”””を感じたわけですが、これはまぁ何度目かのことで。俺は作品と向き合う上では基本的に他者の介在は不要と思っていて、自分の意志で選び感じたことが第一にまずなければ、他者とぶつかることも出来ないと思っているため(オススメして貰えるのはもちろん嬉しい事です、これは確かです。しかし、過剰な場合は刷り込みになりかねないため、そういった状態で作品と向き合うのは誠実ではないし、自分のまっすぐな感想にならないのがいい作品だった時ほど悔しいからです)、あくまでも今回自分の意志で観始めようか、と思えたからスタートを決められたわけです。

 

俺は面倒なおたくの性分というかただの損する性格というか…多くの人が応援している作品、熱狂している作品ほど(じゃあ皆が支えてるから俺は後回しで大丈夫だよな…他が埋もれないように支えないと…)なんて思ってしまう事がありまして、他聞に漏れずシンフォギアもそうなっていたわけなのですが、ふとしたきっかけで……まぁnasneに録画しているのを観るのが面倒だなという個人的なハードルがあったのですが……dアニメストアシンフォギアが全部あるじゃん!という事に気づいてしまったわけですね。これが、確か今月の13日のことだったと思います。

現在4月21日1時半時点で、シンフォギアG6話まで観てしまいました。13日と言っても深夜だったので、実質14日から視聴と考えると1週間で19話観てしまったわけですね。はぁ…。

 

 

まだね、まだシンフォギアにハマったとは認めていないわけですけれども、まぁその…やられましたよね。

面白いんだよシンフォギア。ノリや勢いももちろんある、ゴリ押しの熱血もある。でもそんなのどうだっていい、些細な事なんだよ。のっけからいきなりオーパーツを利用した超技術とか言ってるんだもんよ、そっか…多分そういう粗探しするアニメじゃないんだ…と理解した。それでいいよ、俺はそういう楽しみ方のスタイルが好きなんだ。

 

話が少し逸れるんだけども、俺のアニメへの姿勢というか評価について。基本的に俺は、(意識的な部分も込みで)加点方式で何事も楽しみたいと思っている。

だから相当悪いところでもない限りマイナスはせず、プラスされる所がないだけとなる。故に、平凡や王道と言われる「まぁまぁの作品」といった進行であっても、最後の畳み掛けで物凄く熱狂して評価することもある。もちろん最後が良ければいいの?ってそんなことはなく、最後に1発でかい得点!で終わりなわけで。平均的によかったね~の作品と変わらない評価となる事もあるのだが・・・とはいえ。心に刻まれるような描写、尖った部分。ここが好きだから俺はこの作品が好きと胸を張って言える、そういう評価も大切にしたいと思っているわけです。

 

 

まぁちょっと脱線しましたが、シンフォギアについてですよ。

正直言って、観始めた当初はなんだかちょっと主人公(以後「響」)が好きになれなかった。なんだか中途半端なヤツだな、と思っていた。これがあんなに皆を魅了する作品になるのかね…なんて思いつつも、まだ始まったばっかりだしなぁと観続けていた。

(でもいきなり謎の俳句みたいなヤツ→遺影の前で無く女の子…から始まるのは掴みバッチリじゃな~い…と思った)

 

そうか、いきなり人がたくさん死ぬんだなぁ、あっ触れられただけで死んだ……。1話らしく怒涛の展開が続く画面は、その混乱とは逆に、細かい設定を理解してもらうのではなく、まずノイズというものがこの世界に存在すること、そして普通の人はそれに対して無力であること、ただそれだけを把握出来れば良いのだろうと素直に飲み込ませてくれた。そして何より、『戦姫絶唱シンフォギア』というタイトルなわけで。絶唱、という行為の意味と価値をズドン!と視聴者に刻みつけようとしている強い意志を感じた。

そして時間は流れ、学園に通う響。忘れられない過去を背負い、成長した彼女を再び襲うノイズ。なるほど…きちんと”押さえている”展開だな、と思った。人助けが趣味、それは自身の命を救ってもらった過去からのもの…そして今、目の前にピンチの少女がいる。『生きるのを諦めるな!!』その言葉を噛みしめる響。奏に救われた響の中で、奏は存在し続けるのだ(後に置き土産のガングニールと共に、か…と関心した)。

諦めず逃げて、逃げて、逃げた先…しかしそれでもノイズからは逃げられない。ただの一般人である響は序盤で消えていった人々と変わらず無力であり、もう手はない。アアアアアア!!!!ここ、ここだろ!!!!!おい、もうここで覚醒しかないじゃん、なぁ???おい・・・・!!!!

俺の期待を裏切らず覚醒する響を観て、確信した。

シンフォギアは信頼できる作品だ。この作品はしっかりと””押さえている””のだ。きっと今後は予想を裏切る展開、予想出来ない展開もあるだろう。それでも俺は今、ここで信頼するに足るものを見せてもらったのだ。

 

 

細かい事をもっとたくさん、たくさん書きたいものの、そんな事いちいち書いていくよりも先が気になるのでこのへんで一旦終わりとする。結果、少なくとも1期は俺の信頼にしっかりと応えてくれるものだったのだ。

戦姫絶唱シンフォギア、俺はきっと忘れることはないタイトルにまた一つ出会った。

 

 ※粗探しするアニメじゃないんだ…みたいな事書きましたが、実際設定追ったりしても面白そうなのでハマったら2周目とか細かい所注目しても楽しめそうですね

 

 

追記:これ書いてからそのまま朝までずっと観ちゃってG最終話まで観ました...(朝6時)

 

 

 

なお、まだシンフォギアにはハマっていないと思います。まだセーフです。認めません。まだハマってないデース!

そう簡単に俺の心まで奪えると思うなよ、シンフォギア

ガーリッシュナンバーを観た

最初は薄笑いを浮かべながらヘラヘラと観ていた、だったはずなのに…いつの間にか最後はちょっとだけ、ほんのちょっとだけグッときてしまった。悔しいけど。

いつの間にか烏丸千歳が染み込んできて悔しい。

 

観てよかった。悔しい。

『ポッピンQ』という希望と出会ったおはなし。

いや~・・・なんか年越し前に更新とか新年に更新が出来なかったので随分お久しぶりになってしまいましたね。

どうも、menmanistことメンマ氏です。氏は別につけなくてもいいですがエゴサしやすいのでTwitterではつけてもらえると反応できます。それだけの理由です(意図はあるけどそういう認識でいいです)。

 

 

はい話がそれた、すぐこいつ話逸れるな・・・

えー、今回はね、『ポッピンQ』という映画を観てきたお話です。(2つ前の記事が『君の名は。』だしこいつ映画のレビューブログ化してんなとか言わないでお付き合いください)

 

 

 

多分今回はネタバレ要素はない・・・と思うけどザーッと推敲も無く書いていくので、後で読むとネタバレだったな…みたいなの有ると思います。出来れば先に観て欲しい。

 いやネタバレっぽい要素あります、出来れば観てから読んで欲しい。中盤までならセーフです。

 っていうか公開終了近いかもしれないしこんなもの読んでないではやく観に行って欲しい。

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  •  見に行くまで

 見にいったのは1/21(土)。年末頃から観に行こうかなぁと思っていたものの、結局12月は公開終了しちゃう!と急いで『ソーセージ・パーティ』を観に行ったのでポッピンQは後回しになってしまったわけなんですよ。まぁソーセージ・パーティは予想に反して面白かったんで正解だったとは思います。

まぁそんなこんなで、20日の金曜日に公開終了しちゃう映画館が何館もあって焦ったりしつつ新宿バルト9までエッホイヤッホイ観に行ったわけです。いや~バルト9、朝10時頃~の回しかなくてキツかった。

土曜日の朝10時って大半の人はまだ寝てますよね?ちょっと常識を疑っちゃうのですが・・・ハードルが高尾山くらいの高さですね。実質朝登山ですよねこれ?趣味は登山って今度から書きます。

 

 

  •  いい加減映画の話して

 はいわかりました。

ポッピンQという作品について、俺はまったく事前情報を得ずに(観ようと思って期待していたので出来るだけ調べたり聞かないようにして)観に行ったわけです。

 

 いやーほんと…やられたね。結論から言います、良かったです。

前述の通り朝10時過ぎなんていう脳がほぼ寝てる時間だったのですが、いつの間にか作品に引きずり込まれて目も頭も冴えていました。スクリーンを通して、キャラクター達のエネルギーがまっすぐに伝わってくるんですよ。

 

卒業を間近に控えた中学3年生の女の子たち、それぞれ家の事情や人間関係、取り組んでいること、生き方の姿勢、卒業後の未来について・・・沢山の悩み、葛藤がそれぞれ別々にあるわけです。それは自分にも同じくらいの時にあったことだし、今だって沢山悩んでいる事があります。

それでも、思春期のそうしたモヤモヤした気持ちは特別なものだと思うんですよ。将来ってどうなるんだろう、自分はまだ子供だ。でも子供扱いされるのはそろそろムカつく…そんな時期があると思います。そんな時間をみんな過ごしたのではないかと思います。

 

そんな、それぞれの人生を歩んできた、出会うはずのなかった彼女たちが異世界へPOP INすることで出会い、ぶつかり合って、心を合わせるんですよ。

彼女らはそうした体験を通して一つ時を進めるわけです。

 

ポッピンQは不思議な体験を通してそれぞれが一つの段階を卒業し、成長する物語。

そして、それを鑑賞した私達も一緒に成長できる作品だと思うわけです。

 

 

 

 

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  •  お願いだからこれ言わせて

 はい、というわけでもう限界です言わせてもらいます。

上に書いた事は本心だし本当に思ったことなので別にこっちが本編とかそういうのではないです、それだけはわかってほしい。・・・んだけど、いやもうこれ言いたいことがあるんですよ。

 

『ポッピンQ』は劇場版ビビッドレッド・オペレーションIFストーリーでした。

 

 

はい。いつもの、とか言わないで欲しい。真面目な話なんですよ。

俺はこういう話が好きなんだなぁと改めて思わされたんですよ本当に。

 

っていうかね、女の子たちが(れいは黒ですが、マフラー等紫はキーカラーでしたね)に変身して心を通わせて世界を守るってもうそれビビッドレッド・オペレーションじゃん!!

俺がそう思っちゃうのも自然なことだと思うんですよ、これ絶対こじつけじゃないですよね…?いや真面目に言ってるんですよ本当に。お前はなんでもビビッドレッド・オペレーションに結びつけるな…とかじゃなくてね、俺がポッピンQを観てビビッドレッド・オペレーションのかすかな香りを感じてもそれは自然な事だよな…と思ってしまう作品だったわけです。

 

まぁ半分勢いで言ってるんですけどね。ただ、言い換えればそのくらい心を動かされたし、好きになれそうな作品だったと言うことでもあるので俺流の褒め言葉でもあります。

(誤解しないでほしいのは、別にビビッドレッド・オペレーションと近い作品だけが好きとか評価出来るっていう意味ではない点です。良いものは良い、そうでもないものはそうでもない。とした上で、自分が良いと思える物に近い方向性の良さを感じたという事ですね。)

 

  •  少女たちの心の純粋さが眩しい

 伊純と蒼の二人は最初もーケンカばっかりしてるわけですよ。衝突してばかり。

まっすぐで負けず嫌い。それでいて頑固でもある伊純と、周りと合わせることを嫌って冷静な自分でいよう、一歩離れた自分でいようとして少し浮いてしまいがちな蒼はまさに反対の方向にいる二人。そんな二人が次第にお互いを理解し始めて、最後にはもう連携バッチリ信頼度MAX大親友になるわけですよ。

パンフレットで蒼ちゃんを演じる日岡さんのコメントにもありましたが、めっちゃ蒼は伊純のことを名前で呼ぶようになるわけですね。劇場作品という尺の短い作品なので急ぎ足のペースではあるものの、そういった色々な段階を乗り越えてそれぞれの心が一つになっていく様子がじんわりと伝わってきて心が暖かくなりましたね。

 

小夏、あさひもそうなんですよ。マイペースで頼りない小夏も、次第に大切な仲間のために勇気を出して頑張る、頼れる女の子になるわけです。あさひは合流シーンからして頼れる女の子感を出していたものの、蒼とは対象的に空気を読んでまわりに合わせてしまうタイプなのでうまく自分を出せない。それが枷となっている(それは家の事、自分の将来への事とつながっていますね)のですが、仲間と心を通わせることで自分の本来持っていた強さ、つまり心の強さ、芯の強さを発揮し始めるわけですね。

 

そして沙紀ですよ。好き。いやお前の好みは別にどうでもいい、そうじゃなくて。

登場シーンからしてやられましたよ、公園の遊具の中に篭ってひたすらマジックで何か書いてるんですね。「死にたい」なのかな?と思ったら「消えたい」なわけです。これでみんな何となくこの子の事が理解出来るんですよ。死にたいわけじゃない、もう消えてしまいたいという気持ちを抱えている。優しい子なんだろうなぁほんと、好き…。

そんな彼女はかつての仲間とうまく行かずに一人になってしまった過去があり、だからこそ異世界へと飛ばされてしまった後もうまく他の4人と混じり合え無いわけですね。消えてしまいたいと思っている、そんな彼女に伊純は手を伸ばすが会話も成り立たない。伊純は蒼とぶつかりあって、衝突することを通して絆を築きましたが、沙紀とはそれが出来ない。届かない、ぶつかることも出来ない相手ってキツいですよ。

だけど真っ直ぐな(頑固な)伊純は見捨てる事は無く、最後に伸ばした手と優しさが通じるわけです。ファイナル・オペレーションです。パンチは無かったけど満点ですよそんなの。

 

 

 そんなこんなで、みんながいつしか絆を深めて、心を一つにする。

ダンスという行為は心を合わせて行わなければならないというのは現実でももちろんそうだと思いますが、作中ではさらにそうしないと効果がない、という演出になっているわけで…

エヴァの「瞬間、心、重ねて」を思い出した人も多いのではないかと思います。

つまり、言ってしまえば”ダンス”という行為は”ドッキング”なわけですよ。心の通っていない相手とはドッキングが出来ない。心が一つにならなければダンスの効果はない。

少女たちの友情が世界を守る鍵なわけですよ…アアアァ……好き………

 

 

 ちょっと面白いな、と思うのは『同位体』という存在ですね。

パートナーの考え・気持ちが通じる、通じてしまう存在は彼女らとは別に存在するわけです。サポーターでもあり、言葉通りのパートナーでもある存在。

彼ら(彼女ら)ポッピン族の同位体たちは始めから通じてしまっている状態なのですが、最終的には少女たちに心を通じあわせてほしいわけで…ポッピン族の面々は元の世界でいう親であり、友人であり、恋人であり…人生に必要な良き理解者であるわけです。

つまり、物語は彼ら(彼女ら)ポッピン族たちからの卒業(可視化された存在であり、能力を持つ彼らとの別れ)という見方も出来るのかな?と思いますね。独り立ち、自立です。かといって、5人の少女たちは本当に一人前として自立したわけではなく、5人の仲間という支え合える存在が成立した事によるもので。

当然大人だって一人じゃ生きていけないですからね、そういった存在に気づくことが成長の証でもあるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 なんかちょっと読み返してみたらいい事言って終わらせようとしててムカつくな俺・・・いやまぁアレです、ただ言いたかったんですよ。

ポッピンQに、少女たちの純粋さと心の交流に、俺は心を動かされました。

ポッピンQ、良かったです。

 

2016年の劇場で俺は、3年前のビビッドレッド・オペレーションと改めて出会ったわけなのですが(2つ前の記事参照)…

2017年の劇場で俺は、ビビッドレッド・オペレーションがたまらなく好きだなぁと改めて思ったわけです。おしまい、またね。

 

『君の名は。』を観たメモ。

※特に内容にどうこう言及はしませんがネタバレ要素はたぶんあります。

観てない人はこんなクソブログ観てないでそのブラウザで映画館のHP観に行ってチケット予約してください。お願いします。

 

 

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君の名は。』を観ました。

 

3年前のきみと、今の自分。

3年前。そのワードに、2013年の自分が頭をよぎった。

 

2013年、ビビッドレッド・オペレーション放送の年。

あかねが、あおいが、わかばが、ひまわりが、れいが…テレビに映っていた頃。君たちが電波の届く限り画面に映り、動き、喋っていた頃。

3年前、それは俺がビビッドレッド・オペレーションと出会った瞬間だった。

 

3年前の事、どれだけ覚えているでしょうか。身の回りのこと、行った場所、起こったニュース。ましてや1クールにいくつも放送して、消えていったり、続いたりするアニメ。

どれだけのアニメを3年先も覚えているでしょうか。どれだけのアニメを、3年後も同じ熱を持って愛し続けることが出来ているでしょうか。

今の好き、今の関心は日々の忙しさや押し寄せる様々な楽しいこと、辛いこと、刹那的なたくさんの事に押しやられて、いつしかスペースを狭めていく。同じだけのスペースを心にずっと保ち続けられる物や事はあるでしょうか。

 

君の名は。を観ながら、気がついたら涙を流していた。

そこにあるのはストーリーへの感動や、キャラクター達への共感では無かったと思う。どうしようもなく個人的な涙だった。

 

ふざけた感想かもしれない。『君の名は。』という作品内容についての感想もたくさんある。けれども、どこまで行っても感想というのは個人的なものだからしょうがない。後から浮かんだ考察や感想については書かないことにした。ここにメモを残すのは、観た後すぐにメモに残したことだけ。ひどく個人的な体験を残しておく。

 

 

 

 

2016年9月17日の劇場で、俺はビビッドレッド・オペレーションと出会った。

ビビッドレッド・オペレーションと出会った頃の自分と、再会していた。

 

2013年、俺は夢と出会い、夢を観た。今も見続けている。

 

3年前の紡ぎを今に繋げるために、そして未来にするために。これからもビビッドレッド・オペレーションを愛し続けようと思う。

紡ぎが、世界を守る鍵。

 

 

 

※追記

ブログでは7セット目の購入までしか報告をしていませんでしたが、7月16日にビビッドレッド・オペレーション8セット目を購入しました。

メンマ氏 on Twitter: "ビビッドレッド・オペレーション 、8セット目を購入しました。途切れない気持ちが私の道標。 https://t.co/nKW2vtxvve"

報告が遅くなってしまいましたね…