割り箸を煮込んだ美味しいやつ。

割り箸を煮込んでもメンマはできません。

『シンフォギア』と出会った。

久しぶりの更新となりました、menmanistです。

 

 最近は忙しさにかまけて日々をなぁなぁに過ごしているような気がして…かといって本当に忙しいのか?俺は本当は何かをする時間があるんじゃないか?なんて、自分を責めたり。どこか苦しくて…なにかやり残したことがあるんじゃないか、何かもったいない見逃し、やり逃しがあるんじゃないかと思う日々を過ごしていました。

そんな日々の中で、ふと『シンフォギア』という作品を録画したまま放置していた事を思い出したわけです。

ちょっとツイートしただけでTLのシンフォギアおじさん(めんどくさい人たちです(でもみんな好きだよ))たちからギロッという目を向けられ”””圧”””を感じたわけですが、これはまぁ何度目かのことで。俺は作品と向き合う上では基本的に他者の介在は不要と思っていて、自分の意志で選び感じたことが第一にまずなければ、他者とぶつかることも出来ないと思っているため(オススメして貰えるのはもちろん嬉しい事です、これは確かです。しかし、過剰な場合は刷り込みになりかねないため、そういった状態で作品と向き合うのは誠実ではないし、自分のまっすぐな感想にならないのがいい作品だった時ほど悔しいからです)、あくまでも今回自分の意志で観始めようか、と思えたからスタートを決められたわけです。

 

俺は面倒なおたくの性分というかただの損する性格というか…多くの人が応援している作品、熱狂している作品ほど(じゃあ皆が支えてるから俺は後回しで大丈夫だよな…他が埋もれないように支えないと…)なんて思ってしまう事がありまして、他聞に漏れずシンフォギアもそうなっていたわけなのですが、ふとしたきっかけで……まぁnasneに録画しているのを観るのが面倒だなという個人的なハードルがあったのですが……dアニメストアシンフォギアが全部あるじゃん!という事に気づいてしまったわけですね。これが、確か今月の13日のことだったと思います。

現在4月21日1時半時点で、シンフォギアG6話まで観てしまいました。13日と言っても深夜だったので、実質14日から視聴と考えると1週間で19話観てしまったわけですね。はぁ…。

 

 

まだね、まだシンフォギアにハマったとは認めていないわけですけれども、まぁその…やられましたよね。

面白いんだよシンフォギア。ノリや勢いももちろんある、ゴリ押しの熱血もある。でもそんなのどうだっていい、些細な事なんだよ。のっけからいきなりオーパーツを利用した超技術とか言ってるんだもんよ、そっか…多分そういう粗探しするアニメじゃないんだ…と理解した。それでいいよ、俺はそういう楽しみ方のスタイルが好きなんだ。

 

話が少し逸れるんだけども、俺のアニメへの姿勢というか評価について。基本的に俺は、(意識的な部分も込みで)加点方式で何事も楽しみたいと思っている。

だから相当悪いところでもない限りマイナスはせず、プラスされる所がないだけとなる。故に、平凡や王道と言われる「まぁまぁの作品」といった進行であっても、最後の畳み掛けで物凄く熱狂して評価することもある。もちろん最後が良ければいいの?ってそんなことはなく、最後に1発でかい得点!で終わりなわけで。平均的によかったね~の作品と変わらない評価となる事もあるのだが・・・とはいえ。心に刻まれるような描写、尖った部分。ここが好きだから俺はこの作品が好きと胸を張って言える、そういう評価も大切にしたいと思っているわけです。

 

 

まぁちょっと脱線しましたが、シンフォギアについてですよ。

正直言って、観始めた当初はなんだかちょっと主人公(以後「響」)が好きになれなかった。なんだか中途半端なヤツだな、と思っていた。これがあんなに皆を魅了する作品になるのかね…なんて思いつつも、まだ始まったばっかりだしなぁと観続けていた。

(でもいきなり謎の俳句みたいなヤツ→遺影の前で無く女の子…から始まるのは掴みバッチリじゃな~い…と思った)

 

そうか、いきなり人がたくさん死ぬんだなぁ、あっ触れられただけで死んだ……。1話らしく怒涛の展開が続く画面は、その混乱とは逆に、細かい設定を理解してもらうのではなく、まずノイズというものがこの世界に存在すること、そして普通の人はそれに対して無力であること、ただそれだけを把握出来れば良いのだろうと素直に飲み込ませてくれた。そして何より、『戦姫絶唱シンフォギア』というタイトルなわけで。絶唱、という行為の意味と価値をズドン!と視聴者に刻みつけようとしている強い意志を感じた。

そして時間は流れ、学園に通う響。忘れられない過去を背負い、成長した彼女を再び襲うノイズ。なるほど…きちんと”押さえている”展開だな、と思った。人助けが趣味、それは自身の命を救ってもらった過去からのもの…そして今、目の前にピンチの少女がいる。『生きるのを諦めるな!!』その言葉を噛みしめる響。奏に救われた響の中で、奏は存在し続けるのだ(後に置き土産のガングニールと共に、か…と関心した)。

諦めず逃げて、逃げて、逃げた先…しかしそれでもノイズからは逃げられない。ただの一般人である響は序盤で消えていった人々と変わらず無力であり、もう手はない。アアアアアア!!!!ここ、ここだろ!!!!!おい、もうここで覚醒しかないじゃん、なぁ???おい・・・・!!!!

俺の期待を裏切らず覚醒する響を観て、確信した。

シンフォギアは信頼できる作品だ。この作品はしっかりと””押さえている””のだ。きっと今後は予想を裏切る展開、予想出来ない展開もあるだろう。それでも俺は今、ここで信頼するに足るものを見せてもらったのだ。

 

 

細かい事をもっとたくさん、たくさん書きたいものの、そんな事いちいち書いていくよりも先が気になるのでこのへんで一旦終わりとする。結果、少なくとも1期は俺の信頼にしっかりと応えてくれるものだったのだ。

戦姫絶唱シンフォギア、俺はきっと忘れることはないタイトルにまた一つ出会った。

 

 ※粗探しするアニメじゃないんだ…みたいな事書きましたが、実際設定追ったりしても面白そうなのでハマったら2周目とか細かい所注目しても楽しめそうですね

 

 

追記:これ書いてからそのまま朝までずっと観ちゃってG最終話まで観ました...(朝6時)

 

 

 

なお、まだシンフォギアにはハマっていないと思います。まだセーフです。認めません。まだハマってないデース!

そう簡単に俺の心まで奪えると思うなよ、シンフォギア